Nadiaのこと③ 同僚で友だちのBarbara

Nadiaのこと②の続きです。自分のために回想録として書いています。

甘いものに弱かったNadia


3月27日(金)

Nadiaがいなくなってしまったことを現実のこととして理解するようになるとともに、パズルのピースの一つ一つを確認するように、Nadiaのことを整理したいと思うようになりました。このブログ記事もパズルのピースがすべて揃っていることを確認するために書いています。

葬儀の翌日。おそらくこの日の朝、葬儀が行われNadiaは火葬されました。28日(土)、29日(日)、30日(月)の3日間、午後6時からティファナのSan Miguel教会でミサがあるとのことでした。

この日の夜、お通夜で声をかけてきてくれたNadiaの友人Barbaraとメッセージを交換しました。Barbaraはフェイスブックをみる限り、日本文化に興味がある女性のようでした。

NadiaはBarbaraとどういう関係だったのか、Nadiaのどんな一面を知っているのか、そんなことを知りたいと思いました。



以下はBarbaraと話した内容です。

-----

NadiaとBarbaraはHyson (Rain Bird)というスプリンクラーのメーカーで勤務する同僚。Nadiaは2013年の5月から2年近くここで働いていた。

Nadiaはわたしのことを"Mi Amiga La Japo (わたしの日本人の友)”と呼んでいたそう。Barbaraは「自分に対しては友だちとは呼んでいなかったけど、お互いに友だちであることは分かっていたからそんなことは声に出して言わなくてよかった」と。

NadiaはBarbaraだけではなく、わたしに対しても友だちとは言ってなかったと思う。わたしは言ってたけど。わたしの推測では、Nadiaは"Amiga"という言葉を使うのを"メキシコ人すぎて"避けていたのではないかと思う。いずれにせよ、そんな一面があった。

それからNadiaはBarbaraに、わたしが1月にNadiaに伝えた「ニュース」についても話していて、"おばさん"になることを楽しみにしていたそう。(わたしにはそこまでは言ってくれなかったんだけど、Barbaraはそう教えてくれた。ウソでもホントでも嬉しい。)

それからBarbaraは「Nadiaは本当にくだらない方法であなたのことを思い出していたのよ。Nadiaにあげた傘のこと、覚えてる?日本製の傘よ。」

最初はピンと来なかったけど、よく考えてみると、以前旅行で訪れたときに、日本の折りたたみ傘をNadiaにあげたような気がする。しかも新品じゃなくて、自分が使ってた傘。多分10年くらい前の話。

Barbaraは「そう、軽くて小さい傘。色はブルーだったよ。」

間違いない、わたしが使っていた傘だ。
ブルーはわたしが好きな色だし、Nadiaのために買っていたら違う色にしていた気がする。

「Nadiaはあの傘のことを素晴らしいって言ってて、わたしも日本製の似たような傘を持ってたから、二人で傘を並べてやっぱり日本人は高品質で世界一の傘を作るよね、って話してたのよ。」

「だからNadiaはあの傘のことを感謝していたのよ。使い勝手がよかったし、母親やお姉さんの分もほしいとすら思っていたみたい。ただのギフトだったかもしれないけど、あなたからのプレゼントだったから特別だったのよ。こういうちょっとしたことをあなたには覚えていてほしいと思う。」

わたしはBarbaraが傘のことを言うまでそのことはすっかり忘れていたことを言って、お礼を言いました。それから「Nadiaってやたら何でも保存しておくよね。しかもすっごい昔のものとか。だから部屋はモノであふれてて(笑)」


NadiaとXimena


Barbaraが「あ、それから資生堂のマキアージュのこと、覚えてる?マニキュアをプレゼントしたでしょう?あれNadiaまだ持ってたよ。」

これはわたしも覚えてる。とにかくサンディエゴ・ティファナに遊びに行くときはNadiaに何のお土産を買っていくかいつも頭を悩ませていて、そのうちにMade in Japanであることが大事だってことが何となく分かってきて、一度マニキュアを3本、ママとAfraとに1本ずつプレゼントしたことがあった。

「Nadiaと(旅行先の)ロサンゼルスやらサンフランシスコで、あのマニキュアを探して何度資生堂のブースにいったことやら。あれはアジア限定商品だったのよ。」

わたしもNadiaとサンディエゴのMacy'sデパートの資生堂ブースに一緒に行ったことがある。Nadiaはその時資生堂のファンデーションを買っていた。密かに資生堂ファンになっていたんだなと今になって思う。

資生堂といえば覚えているのが、Nadiaが自分の目はアジア人っぽいから、普通に売られているビューラーは痛くて使えないと言って、なんとスプーンを使ってまつげにカールを出していたこと!

ある日そのことを思い出して日本からのお土産に資生堂のビューラーを持っていったところ、「これ、痛くない」といってかなり喜んでいた。Barbaraもこのビューラーの話は聞いたことがあると言っていた。

ところがNadiaはこのビューラーを無くしてしまう。友人の子どもXimenaと遊んでいたときに、子どもになくされてしまったと(苦笑) あれはわたしも残念だったよ、と冗談で言う。

「Nadiaは資生堂マキアージュのパンフレットまで保存していて、もし日本に行くことがあったらどこで手に入るか調べるように言ってたのよ」

Nadiaはいい思い出があるものは、写真・何かのパッケージ・紙類と何でも保存するクセがあった。いつかはアンデスのお土産に誰かから貰ったコカ茶のティーバック(高山病防止の)をもらっていて、わたしがサンディエゴに戻ってきたときに開けて飲んでいたけど、その後もティーバックの入っていた袋は捨てずに持っていて、その後も見たことがあった。

Barbaraによると、ニューオーリンズの観光パンフレットなどもきれいに保存されていて持っていた、と。こう言われると、わたしもそういうものを保存しておくクセがあるから、少し似てる部分もあったかもしれない。

Barbaraはニューオーリンズ旅行のことは耳にたこができるほど聞かされていたけど、最後には笑うしかなかったと言っていた。Cafe DuMontのBeignet(フランス系のドーナツのようなお菓子)とコーヒーのことをいつも味を再現できるかのように語っていたらしい。実際ディズニーランドでBeignetを食べたときも、Cafe DuMontのと違うと言っていたらしい。。コーヒーを飲んでいたときも・・・苦笑

Barbara曰く、Nadiaはそういうわけで満足させるのは難しい人だったけど、甘いものには弱かった。例えばチョコレートとか。

Barbaraの言うとおり、Nadiaは甘いものが好きで、子どもみたいな一面があった。Nadiaは財布の紐が固くて、無駄遣いをするような人ではなかったけど、ここで飴買ってあっちでガム買って、、という具合だったのは確か。

それからBarbaraはNadiaに似合うからといって、赤い口紅をするように薦めていたこと。これは本当にいいアドバイスでNadiaの明るい肌色によく似合っていた。アジアには比較的興味を示さなかったNadiaを説得して、いつか東京ディズニーに一緒に行こうと言っていたことなどを教えてもらった。(ここ数年、Nadiaはディズニー好きの友だちの影響ですっかりディズニーファンになっていた様子)



こんな思い出話ができて、わたしの心はかなり満たされていきました。Nadiaは会社でこんなにステキないい友人に恵まれいたこと。嬉しく思いました。パズルのピースを集める旅は続きます。




ラベル: , ,