Nadiaのこと② 最後の対面

四葉のクローバーを持つNadia


Nadiaのこと①の続きです。自分のために回想録として書いています。


3月25日(水)
Nadiaが亡くなったと知ったのが3月25日の水曜日の午前中。この日の夕方に、翌26日木曜日にお葬式(お通夜)があると知らされました。メキシコでは葬儀は早く済ませるそうです。

心身の体調が万全でなかったことと、そんななか自分が肉体的・精神的に耐えられるのか。お葬式に行くかどうかでかなり迷いました。悲しみにくれる家族や友だちはもちろん、動かなくなったNadiaを目の当たりにするのが怖かったというのも本当のところです。

夕方の時点では、行くべきだと思うけど、行かないほうがいいのではないかと思っていました。

この日、数人の共通の友人とメッセージを交換しました。そのうちの一人がSylvia(シルビア)でした。Sylviaが連絡をくれたのは夜9時ごろ。「いたずらか何かなの?」

いたずらではないこと、Nadiaは本当に亡くなってしまったこととその背景、明日葬儀があることを伝えました。わたしは肉体的・精神的に耐えられるか分からないから葬儀に行くかどうか決めかねていることを伝えました。

Sylviaが「マユ、これから大事なことを言うわよ。わたしも15歳のときに幼いころからの親友が亡くなってしまったの。お通夜には行ったんだけど、お葬式には体調が悪くて行かなかったの。そのことを今になっても後悔してる。」

「後悔」という言葉を聞いて、わたしはハッとしました。絶対後悔したくない、これ以上後悔したくない。明日は体調を万全に整えて、その場にいなくてはいけないと思いました。

この日はお互い1時過ぎまで眠れず、メッセージをちょこちょこ交換していました。


この日、フェイスブックにNadiaとの思い出の写真アルバムNadia and meを載せて、Nadiaが亡くなったことや葬儀の日程について連絡しました。そこでNadiaを通じて出会った人たちの名前を挙げると優に10人は超えていました。改めてNadiaはわたしにたくさんの人を紹介してくれたこと、常に人と人の架け橋の存在だったことを思い知らされました。

また写真を見たNadiaのことを知らない友人が数名、温かいコメントや個人的なメッセージを送ってくれたのには感動しました。

夫はわたしの体調のことをかなり心配していましたが、死者の前で悲しむとあの世に旅立てなくなるから葬儀の場で泣いたり感情的にならないこと、無理しないことを条件に同意してくれて、当日メキシコの葬儀会場まで車で連れて行ってくれて、参席してくれました。この人生の悲しいときに支えてくれる人がすぐそばにいたことは本当によかったです。


笑っているNadia



3月26日(木)
葬儀会場に確実にたどりつくため、メキシコ人の同僚Socorro(ソコロ)さんに相談しました。正しい地図での位置を確認してくれて、「困ったことがあったらいつでも電話して」と言ってくれました。

この日は寝不足でありつつも張りつめた状態で、いろんな人と連絡をとり続けていました。

ひとつ今でも心残りなのが、Nadiaと同じくらい親しかったAlejandroに連絡が取れないことでした。彼はフェイスブックを使っておらず、メールするもののメールを読んでいないらしく返事がない状況でした。


葬儀はティファナのFundadores Blvdという通りにあるAIMARという名前の葬儀会場でした。葬儀会場が立ち並んでいる地域です。

葬儀は夜7時からという連絡だったのですが、友人の話では家族が病院から遺体を引き取るのが6時ごろ、そして7時から1時間は家族の時間ということで、8時以降に行くのがよいという話でした。日本でいうお通夜のようなもので、深夜まで続くという話でした。

葬儀会場は国境から10分と遠くなく、わたしたちの住むアメリカの家からも25分くらいの距離でした。夫も仕事から早めに帰宅してくれて、簡単にディナーを済ませて夜8時ごろ家を出て、8時半ごろ会場に到着しました。

会場建物裏の、個人宅前の狭いスペースに車を停めるよう促され、車を停めてから会場に向かいました。暑くも寒くもない、カリフォルニアの夜です。会場は比較的新しい様子で小ぎれいで、1組分の葬儀だけを執り行うプライベートな会場でした。1階が簡単な休憩室で、2階が長椅子が並べられた教会のような会場になっていました。

建物に足を踏み入れると、たくさん人がいましたが、弟のCarlosが声をかけてきました。静かに長いハグをしました。Nadiaのお父さんも近くにいて、握手をしてハグをしました。

Carlosが「Afraとお母さんは上にいる。いつでも心の準備ができたら2階に上がって。」と教えてくれました。1階にいても特にすることもないので、「行こう」と意を決して2階に上がりました。

2階に上がると、長椅子に座っているたくさんの人、立って話をしている人など、たくさんの参列者が集まっていました。

長椅子の並ぶ前方には祭壇、本物の花(はっきりと思い出せないのですがおそらく赤いバラの花)で造られた赤い花輪がたくさん並んでいるのが目に飛び込んできました。花輪には送り主の名前やメッセージの帯がついていました。「中学校の同級生一同」というものもありました。

そして目が慣れてきたころに中央に純白の棺が見えました。Nadiaはわたしよりもかなり背が低かったせいもあるのですが、棺はひどく小さく見えました。そして棺の左側の花輪の前に写真が二つ飾ってありました。ひとつは四葉のクローバーを持っている横顔の写真、そしてもう一つがわたしと一緒に国境の前で撮った満面の笑みの写真でした。この写真が目に飛び込んできた途端に、目に涙があふれました。

葬儀でも使われたNadiaのこの写真


とにかく自分の目でNadiaを見ないと納得がいかないという気持ちと、動かなくなったNadiaを見なければいけないという義務感から、自然と足は祭壇のほうに向かいましたが、Afraがわたしを見つけて声をかけてくれました。

Afraと長い静かなハグをしました。わたしは本当に言葉を失っていて、英語の通じるAfraにもうまく言葉がかけられなかったのですが、Afraは「来てくれてありがとう。ママはあっちよ。」と言ってお母さんのいるところを教えてくれました。Afraが今回の一連のことで悲しみに打ちひしがれながらも、事務的な作業などを一手にこなしていたのだろうと、そのきびきびとした動きから察しがつきました。

AfraとNadiaは1つの部屋をシェアしていたので、わたしが泊まりに行くときはいつもAfraと3人で部屋をシェアしていました。またAfraは以前日系企業に勤めていて日本語を勉強していたこともあり、少し親しみを感じている部分もありました。

そうしていると、ある女性がわたしのほうに近づいてきました。Nadiaの友だちのBarbara。会うのが今回初めてだったのですが、NadiaのFacebookで仲良くしている姿を見ていました。

Barbaraはわたしの両手をとって、Nadiaがいつもわたしの話をしていたこと、ニューオーリンズ旅行のことを楽しい思い出として話していたことなどを言ってくれました。わたしは言葉にならなくて、かろうじてお礼を言うのが精一杯でした。Barbaraは本当に優しくて温かい人だったし、最近のNadiaのことをよく知っていそうだったので、あとでお礼のメッセージを送ろうと思いました。

そして、ママのところへ。ここ数年Nadiaの家に行くことがなかったのでママと会うのは久しぶりでしたが、わたしが知っているママと同じでした。ママは英語があまり話せないのですが、わたしが家にお邪魔するたびに「Mi hija~ (わたしの娘~)」と言ってハグをしてくれます。この日も「Mi hija...」とhija(娘)という言葉に声を詰まらせながら、静かに長い長いハグをしました。

ママはスペイン語でわたしにたくさん言葉をかけてくれました。うまく聞き取れなかったけど、Nadiaとのこれまで仲良くしていたこと。そして突然いなくなってしまったことなどを言っているのだと分かりました。夫と約束したとおり、大泣きしたい感情をこらえて口を結んで目で泣きました。

メキシコの家族はとても親密で、一緒にいるのが基本という印象があります。以前Afraが仕事の関係でオレンジカウンティで働くことになったと決まったときに、ママがキッチンのテーブルで泣いていたのを今でもはっきりと覚えています。娘を永遠に失った今のママの気持ちを思うと、本当にいたたまれない気持ちになります。

ママのそばにNadiaと兄弟のように親しいLuisがいました。Luisともハグをして、挨拶しました。LuisはNadiaの家族と長いこと親しく、家も近かったので、今回の件でもNadiaの家族を手伝っているんだろうと思いました。Luisは動揺していたわたしに明るく接してくれて、他のSDSUでの友だちを紹介してくれて、軽い冗談を言いながら雑談して気持ちを和ませてくれました。(とはいえ、「最近も野球観に行ってるの?」と言われたときには言葉が詰まってしまったけれど・・・)

Luisは最近はNadiaとは3ヶ月に1度会う程度になっていたと言いつつも、「観たいからじゃなくて自分たちだけ世間の流行から外れるのはよくないっていう理由でFifty Shades of Grey(映画)を一緒に観にいったんだよ」と話してくれたときはみんなで笑いました。

LuisとNadiaはSDSUにもティファナから(3時間くらいかけて)国境を越えて二人で通っていたし、何かといつも一緒にいたから、他のSDSUの友だちも「二人の間には本当に何にもなかったの?」って聞かれてる始末。

和やかに会話を楽しみつつも、わたしは祭壇のほうが気になってちらちらと見ていました。人と会話を楽しむときは100%楽しみたいけれど、この場ではどうしてもそういう気持ちになれず、ある程度友だちと話したあとは、祭壇のほうを見て心の準備をしていました。

祭壇に向かうまでにかなりの時間を要してしまったものの、気持ちが落ち着いてきたと感じたころに、夫に「行こうか」と言って、夫の手を堅く握りしめて祭壇のほうに向かいました。

棺はふたが二つあり、頭のほうのふたが開いていて、中が見えるようになっていました。あとでSylviaに聞いた話によると、ふたが開かれているのはお通夜に当たるこの日が最後で、その後はふたは閉まって中を拝むことはできないとのことでした。


棺の中のNadiaはきれいにお化粧をされていて眠っていました。重ねた両手の爪にもマニキュアが塗られていました。でもやっぱり生きていたときのNadiaとは変わり果てた姿で、ろう人形のようでした。「死者が旅立てなくなるから泣いてはいけない」と言われていたものの、やっぱりその姿を見るのは悲しくて、感情を抑えられず目に涙があふれました。

本当は言いたいことや聞きたいことはたくさんあるはずだけど、感情を抑えることで必死で、"Nadia, you are beautiful"とだけ声をかけました。

祭壇から戻るとAfraが「何か飲む?お水かジュースかもってこようか?」と声をかけてくれました。今は忙しくしているAfraも、すべて終わったときに寂しくなるだろうと思いました。


LuisとNadia

メキシコの葬儀は日本よりは服装はカジュアルと聞いていましたが、やはり会場では黒や目立たない色を来ている人が圧倒的に多かったです。

Luisと夫と3人で長椅子に腰を下ろして、少し話をしました。Luisと会うのはおそらく2年ぶりだったので、Luisの最近の近況を聞いたりしていましたが、午後9時になり、祭壇に神父さんが現れてミサが始まりました。

カトリックのお祈りです。"Santa Maria, Madres de Dios...(聖母マリアよ・・)”と同じ台詞を何度もみんなで唱えます。 (こちらにあるフレーズです)

もう一つみんなで唱えた台詞に"Orar por ella(彼女のために祈ります)"というのも繰り返しでてきました。

ミサは1時間ほど続き、途中に歌が入ったり、Nadiaの氏名 Nadia Yazmin Aguirre Barajasが唱えられたりしました。

ミサが終わって少しLuisと話したあと、遅くなったので帰宅することにしました。人だかりのなかにいるママと話す順番がようやく回ってきたので、お金の入った封筒を気持ちですといって渡しました。ママはスペイン語で「これからもうちはいつでもオープンだから遊びにきてちょうだいね。Afraもいるし・・・」と言ってくれました。もう一度長いハグをしてお別れしました。

Carlosとも少し近況を話してからハグをしてお別れしました。階段を下りて、他の人と話しているパパに相槌を打ってから建物を出ました。

Afraは建物の外で他の人と話していましたが、わたしたちが帰るのを認めると、話を中断して、わたしたちはもう一度ハグしました。Afraも「うちはいつでもオープンだからまたいつでも立ち寄ってね」と言ってくれました。「ありがとう。今しがたママからも同じことを言ってもらえたのよ、スペイン語だったけど何となくわかったんだ」と言って、二人少し笑顔になりました。

帰り、静かな車内で夫に言いました。「連れてきてくれてありがとう。本当に来てよかった。これでもう、後悔はないよ。」 自分の目で確かめたことで少し整理がついたのか、緊張から少し解放され、やり遂げたという気もちもあり、行くときよりも幾分スッキリした気持ちになっていました。




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