Nadiaのこと① わたしたちの思い出


わたしの親友のNadia 手には四葉のクローバー


火曜日、わたしの親友Nadiaが亡くなりました。
1月生まれだから、35歳。

水曜日の朝FacebookにNadiaの写真とともに「安らかに眠って・・」「どうして突然」などと書き込まれるのを見て、何かのいたずらであってほしいと思いました。

事情を知っていそうなFacebook上の知人に聞くと、Nadiaは本当に亡くなってしまったんだ、と。

腹部に痛みがあって病院に行ったものの医者からは大腸炎と言われ、そのまま家に帰されたとのこと。ところが痛みが続くので火曜日に再度医者に行ったところ、大腸炎は誤診。そのまま手術となったものの手遅れだったのか結局助からなかったとのこと。

何かの冗談のようで、飲み込めなくてぼんやりしていましたが、時間が経つにつれて、現実のものとして迫ってきました。


2005年 卒業後久々に訪れたキャンパスにて。
大学新聞Daily Aztecを手にとるNadia


Nadiaとわたしが出会ったのは2001年、サンディエゴ州立大学(SDSU)に交換留学しているときでした。

Nadiaはメキシコ・ティファナ(サンディエゴの国境の南側)の人。ティファナの大学UABCに通いながらSDSUにも交換留学生として通っていました。

Nadiaは国境育ちのバイリンガルで、当時英語がイマイチだったわたしにも優しく接してくれて、次の学期一緒にクラスを取ろうと言ってくれました。

言葉通りに本当に同じクラスを取ることになり、留学生活の後半は本当に楽しい毎日でした。他のメキシコ人クラスメイトや他の友だちもたくさん紹介してくれて、授業の合間に会って話したり、どこかに出かけたりしていました。

週末には、友人のLuisやAlejandroと一緒にティファナをくまなく案内してくれたり、メキシコの家に何度も泊めてくれました。Nadiaのお姉さんのAfra、弟のCarlos、そして両親とも、その後何度も何度も会うことになります。

サンディエゴのあちこちにも一緒に行って本当にいろいろ教えてくれました。わたしの帰国直前にも一緒にLa Jollaに行ったのを覚えています。海が本当にきれいで、帰りたくない。ぜったいこの地に戻ってこなければ、、と思っていました。

2002年、日本に帰国してからもわたしはサンディエゴのことばかり考えていました。韓国の観光局の仕事に就いてからも、ほぼ毎年1週間の休暇をとってサンディエゴに戻っていました。

サンディエゴに戻りたいといつも言っていて、Nadiaもいつも話を聞いてくれました。サンディエゴは難しくてもティファナだったら就職できるか?などと考えたときも、ティファナでの仕事の可能性を探ってくれました。

今思えば、サンディエゴが第二の故郷になりえたのも、「サンディエゴに戻って働く」という当時ではありえないほどの大きな夢を諦めずに持ち続けられたのも、Nadiaの存在が大きかったんだな、と今になって思います。


2006年ティファナ。プラヤの闘牛場の前にて。

Nadiaの家からの眺め。
家は丘の斜面にあって、駐車にもかなりの運転技術が必要。
井口選手とNadia おそらく2008年
ファンのわたしのために一緒に写真を撮って日本にいるわたしに送ってくれた
Nadiaは3人兄弟の真ん中だったけれど、わたしたち友だちの間では年齢に関係なくお姉さん的存在でした。明らかに他の人と違う個性を放っていて、男友だちが多くて、でも女友だちもいて、ものすごい知識の量と記憶力で、過去に起こった出来事の話もウソなんじゃないかと思うようなこと(でも後から真実だったと分かる)だったりして、圧倒されることも多かったです。

Nadiaはよく友だちの話をしていました。これはNadiaを知ってる人なら誰もが共感すると思うのですが、自分の友だちに●●という人がいて、こういう人でこんなことを一緒にした、とか。

わたしは記憶力が悪いので、忘れてしまっていますが、お通夜のときも「あなたがMayね。話はよく聞いていたよ」と友だちから何度も声をかけてもらえました。


Nadiaとわたし
(2009年わたしがアメリカに再渡米した日。メキシコ国境前で)
2009年に意を決して仕事を辞めて、サンディエゴに戻ってきました。UCSDでビジネスマネジメントを1年間勉強して、サンディエゴ観光局で働きたいという夢をもって。


ダウンタウンのホートンプラザ前で再会したところ

でもこのことは敢えて伝えずに、いつもの如く遊びに来たように装い、サンディエゴダウンタウンでNadiaとAlejandroと再会しました。

ホートンプラザの前で「今日は大ニュースがあります!」と宣言しました。二人は「え?妊娠した??」などと言っていましたが、「サンディエゴに戻ってくることになりました!」というと、瞬間的に「おめでとう!!」といって喜んでくれたのはNadiaでした。

それから、「じゃ、お祝いしよう!!」ということになり、国境を越えてタコスで腹ごしらえしたあと、当時Nadiaが一人暮らししていたアパートでお祝いしました。

いつも一緒に行っていたタコス屋さん

酔っ払い気味のNadiaとわたし。夜明け前まで語り合いました。

この頃Nadiaは猫のAini(エイニー)を飼いはじめた

銀行マンLuisとも再会。ティファナのTGIFridaysにて。
Nadiaのバースディパーティ。高校時代(?)の友だちと。
この数ヵ月後、わたしの左隣のCarmenが突然亡くなってしまう。
めったにないガーリーな2ショット
次の日、友だちFabianの働くマットレス屋さんで遊んでいるところ
SylviaとChinoを紹介してくれたとき。サンディエゴのタコス屋さんで。
Nadia

こうやってNadiaは自然な形でたくさんの人とつなげてくれました。みんな本当にいい人たちばかりで、今回のことがあったときも一緒に支えあえる友だちがいたことは本当に救いです。


退職後の数週間をサンディエゴとティファナで過ごして、2月に日本から合流した友人とメキシコシティとキューバへ。そして3月からUCSDに通い始めることに。

3ヶ月くらい経ったころ、前回の留学環境とあまりに違う。そして自分が大人になっていたことから、ホームシックになった時期がありました。そのときに支えてくれたのもNadiaとAlejandroでした。わたしは国境から遠いUTC(La Jolla)のあたりに住んでいたけど、うちでカルネ・アサダ作って食べたり、会えないときもwalkie-talkieで連絡取り合ってました。

3人でSan Felipeに旅行したときに。巨大サボテンと。

みんなの時間ができると1泊旅行でメキシコをドライブしたりしました。

2009年12月、クラスメイトHermesの娘さんのキンセニエラパーティで

クラスメイトが久しぶりに集結
Nadia, May and Alejandro

2010年1月、NadiaとAlexの誕生日祝い

2010年3月 母と妹とティファナ・エンセナーダ旅行
ティファナ側の海岸の国境

わたしはいつもNadiaやAlejandroの家に泊めてもらったりして彼らの家族によくしてもらっていたけれど、うちの母と妹が来たときも二人はティファナとエンセナーダを案内してくれた。今回の件で母と妹もショックを受けていることは言うまでもなく・・・。


Fundraiser Dinner in TJ 2010年4月

このころのNadiaはチャリティとか人を助けることに興味があって、メキシコでは(日本でも)珍しい、チャリティディナーに誘ってくれて一緒に出かけたりもしました。

プエルトペニャスコ旅行 2010年4月
チャリティディナーが終わったあと、アメリカ側に戻って車に乗ってカレキシコ・メキシカリへ。翌日から他の友だちと一緒にプエルトペニャスコに旅行に行くことになっていたから。車の中で寝ていたら国境警備隊の人に警戒されたりして・・・。すごくハードなスケジュールだったけど、いい思い出です。


わたしの30歳の誕生日のときも、週末2日間みっちりつき合ってくれました。

30歳のバースティランチ


パーティのあとも一緒に過ごしました



2012年4月 ニューオーリンズ旅行

わたしがUCSDを卒業して仕事を始めた2010年の後半ごろから会う頻度は減少傾向だったけど、ときには顔を合わせたりメールを書いたりしていました。

2012年4月には、わたしの彼氏(現夫)と行ったニューオーリンズ旅行に、Nadiaも誘って一緒に行きました。以前ニューオーリンズに行ってみたいと話していたのを覚えていて、誘ったところ一緒に行くことになりました。

赤ちゃんクロコダイルを抱っこ。後ろにいるのがNadia

わたしはこのときにもっとNadiaといろいろ話したりすればよかったなぁと旅行の後から少し思っていたのだけど、今回をきっかけに知り合ったNadiaの友だちBarbaraが、Nadiaはこの旅行をすごく楽しんでいて、旅行のことをよく話していたと言ってくれてかなり救われました。NadiaはCafe DuMontがお気に入りでまた行きたいと言っていたそうです。


わたしが最後にNadiaに会ったのは去年の7月。友だち40人で野球を観にいったときです。このときNadiaのお姉さんのAfraも来ていて、弟でラジオのスポーツ解説者をしているCarlosも試合の後に合流して、国境まで送っていきました。「3兄弟に久々に会えてうれしい!!」と言ってその日は別れました。

今年1月、Nadiaの誕生日のころに集まろうという話があったものの、わたしの体調がよくなかったので、事情を説明して延期してもらっていました。今年、最後に会うチャンスを逃してしまいました。


Nadiaのこと②に続きます。






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