新たな出会い② 商社マンのN社長

商社マンとして世界を飛び回り、今も現役商売人の
N社長とお話する機会をいただきました。

サンディエゴ南部の日系企業組織の親方的存在。
少し緊張して臨みましたが、とっても温かい方でした!!

アレンジしてくださったIさんには本当に感謝。
他人に自分の社長を紹介するって
自分の信用を担保にする作業。本当にありがたい。

お伺いしていた実年齢よりぐっと若々しくて
血色がよくお肌つやつや、笑顔がステキ。

これまで駐在されたところは・・・
ニューヨーク(2年強)、ベルギー(3年)、韓国(5年)のほか
バングラデシュやシドニーにも。そして現在サンディエゴ。

何といっても私との共通点は「韓国」。
久々にハングルが混ざる会話を楽しみました。

例えば「妻はヨンセのオハクタンに行ってね、」とか
・ヨンセ(=연세  延世大学のこと)
・オハクタン(=오학당  語学堂、つまり語学学校のこと)

「韓国では”ウォルリウォンチクのN”って呼ばれてたんだよ」
・ウォルリウォンチク(=원리원칙  原理原則)

とか。「明洞のKALビルにオフィスがあったから」など
懐かしい地名もたくさん聞こえてきて、ノスタルジアの世界。

N社長が韓国に赴任されていたのは88オリンピックより前のこと。
印象に残ったのは韓国財閥の創始者の出世物語。

例えばサムソンの創始者は当初お米の販売をしていたとか。
貯めたお金で大邱に紡織工場を建てて・・・という具合に大きくなったらしい。

今のサムソンのトップは元会長の三男坊。
長男・次男は出来が悪かったとか。

でも元会長がいちばん気に入っていたのは
日本人の妾との間にできた4男坊。認知されたらしい。

だけどそれでは上の3人が納得いかない。
元会長が亡くなったとたんに4男坊は
日本人の妻と一緒に逃げるように日本に移住した。

サムソンの夢は自動車ビジネスを手掛けることだったが
政府は現代グループを起用。サムソンはクライスラーと提携するも
夢物語として終わってしまった経緯もあるそう。


商社マンN社長がソウル駐在当時、明洞のロッテホテルの地下にある
弁慶というレストランがいちばんの日本料理店だったそう。

ある日取引先の人に誘われてカウンターでお寿司を食べていたら
隣に韓国人男性が一人座ってきて、「トロ」とだけ注文。
すし職人やほかのスタッフはものすごいスピードで対応を始めた。

どこかのお偉いさんかとは思いつつも
スーツは安物に見えるし、靴下は白の綿の靴下。

そうするうちに出てきたのは、大きなトロの塊。
巨大トロにわさびと醤油をかけてむしゃむしゃ食べだした。
そして食べ終わると、「お勘定」。

その客が席を立ったあと、取引先の人が
「Nさん、あの方が現代グループの会長ですよ!」


韓進(ハンジン)グループの創始者はもともとトラックの運ちゃんだった。
当時韓国唯一の高速道路だったプサンーソウル間を運転していたところ
路肩で往生している車を見つけ、停まってみるとそれは白人女性だった。

近くの修理工場を呼んで車を修理してもらうと同時に
女性をソウルまで送り届けた。
実はその女性は、アメリカ陸軍長官の妻だったことが判明。

その後、ベトナム戦争が始まり長官家族が転勤する際に
「仕事を斡旋してあげるからベトナムに一緒に来なさい」と言われ同行。
結果ベトナムの陸運を一手に任せてもらえ、利権を手に入れて大儲けした。

その後韓国に戻り、小さな航空会社を買い取って大韓航空としたらしい。
当時は大韓航空しかなかったが、その後海運事業にも乗り出して
韓進グループが形成されたそう。


もう一つ興味深かったのは、50歳のときに
商社マンからものづくりの営業マンになったこと。
そして、工場での爆発事故。

商社マンのときはA社製品に問題があればB社製品を売ればよかった。
だけどメーカーの人間はそのメーカーの製品しか売れない。

「商社マンは狩猟民族、メーカーは農耕民族」という表現が絶妙。
当時のボスに「農耕を学んでもらいたいが農耕民族に同化してもらっては困る。
狩猟民族の部分を忘れてはいけない」と言われたそう。

工場での爆発事故は、事件発生後の客先への謝罪訪問の旅や
再稼働までの原因究明や警察とのやりとり
再稼働時にオペレーターさんが怖くて
工場に入ってくれなかったときのエピソードなど、超リアル。


他にも「サンディエゴには文化はないが、ニューヨークにはある。」
ニューヨークでニコールキッドマンのお芝居を観た話、
(ニコールキッドマンがおっぱいを見せたとたん照明が真っ暗になる、
という演出シーンもあったそう)

ニューヨークにはトイビル(Toy Building)があって
年に一度のおもちゃのコンベンションのときだけに使われるらしい。
「本当の新商品は裏に隠しておいて、本当に大事な客にだけ見せる。」


ベルギーは小さい国だが、地理的にもヨーロッパの中心で
EUやNATOの本部のほかにも、トヨタのヨーロッパ本社など
大手企業の本社の所在地でもある。

N社長は日本人学校の理事も兼任されており
当時(2000年代前半)で生徒300名、うち150名がトヨタの子だったらしい。
(だからトヨタの役員は2年に一度、理事の役が回ってくる・・)


最後のほうはN社長の会社の人たちや共通の知り合いの話で
「完璧な人はいない。各人の長所を理解したうえで
適材適所するのが自分の仕事」「あの人は営業から財務に転向してよかった」
など、人を見る目があるうえで社長業をされているのだと
ひしひし感じるコメントの数々。

なかでも「Iさんはバランスよくて優秀」と本人の前で褒められていて
改めてIさんの実力と能力の高さに恐れ入ったのでした。

「またおいしいもの食べに行きましょう」と言っていただけて
ほんとうに嬉しかったです。
また何度もお会いしたいと思わせる魅力ある方でした。


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