ベトナム系に聞いたベトナムとアメリカ

友人KとCMR、日本から届いた雛人形と。


最近割りと元気なことが多い。
睡眠の質と量は心身の健康に直結すると実感。

週末はサンフランシスコから友人Kが里帰り。
うちに来てもらって、日本から届いた雛人形を眺めながら雑談。

「ベトナム系アメリカ人として、ベトナム戦争のことをどう思うか」
前から聞きたかったけどチャンスがなかったことを質問できてよかった。

ちなみにKは過去の歴史として捉えているそう。
Kの家族自体が南(サイゴン)出身なので
米軍側について戦っていたということも理由にあると思う。

日本で育ったわたしにとって、ベトナムを訪れるまでは
ベトナム戦争のAgent Orange(枯葉剤)による影響で
ベトちゃんドクちゃんのような奇形児が生まれた話などが
メディアから知るベトナムだった話をした。

Kにとっては身近に枯葉剤の影響を受けた人はいなかったし
そういったイメージはなかったそう。

アメリカに住むベトナム系には旧南ベトナムの住民がいて
当時の国旗(現在の星マークの国旗じゃなくて、黄色に赤の三本線なのだそう)
を掲げる人たちがいるんだそう。

Kは今30歳で、10歳のときにアメリカに移民してきたけれど
サイゴン時代の学校生活などを少し教えてくれた。

例えば、給食代を集めてキューバに送った、という話とか
中国と領土問題で争っている島に駐屯している兵士に切手を送った、という話とか。

Kは統一したベトナムで育って、教育もそんな感じだったけど
南ベトナム軍として戦った家族を持つKのお母さんは
そんな共産主義的な学校の活動を毛嫌いしていたそう。
Kは楽しんで活動していたらしい。

Kはアメリカ人でもありベトナム系であるけれど
本人はベトナム人であるというアイデンティティがあるそう。

先日10年ぶり!?にベトナムに帰ったKは
それ以来とってもベトナムが恋しい様子。

ハノイの病院との面接を受けたりするほど
ベトナムに帰って仕事をしようかと思ったみたいだった。
(実際は希望した給与額があまりに高すぎたのか
それ以来音沙汰がないらしい)

Kからは「今アメリカンドリームを生きてると思うか?」と聞かれて
別に・・・と思っていたけど、そういう見方もあるかもな、と考えを改める。

でもわたしの夢はここでおしまいじゃない。
結婚してもMay、母になってもMayとして、活動を続けていく。

こんな話ができる友だちがいるアメリカ。
やっぱりとっても魅力的。


これ、南ベトナムの国旗だったそう。
知らなかった。。。



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