Nadiaのこと⑤ 最後のミサにLuisと

2005年12月 Nadia、わたし、Luis

3月30日(月)

LuisによるとNadiaは火葬されたらしい。メキシコはカトリックの国だから土葬が一般的かと思っていたけれど、前日のSylviaの話では土葬・火葬の半々なのだそう。Nadiaは火葬がいいと言っていたことを何となく覚えている。もしかすると海に撒いてほしいと言っていたかもしれないけれど、言っていなかったような気もする。記憶力がなくて思い出せない。でも火葬の話をしたことは覚えているから、ある意味Nadiaの希望通りになっているように思う。

26日(木)にお通夜に行ったあと、27日(金)に火葬される前の最後のミサ(お葬式)があって、その後火葬された模様。そして翌28日(土)・29日(日)・30日(月)の3日間、一般的に行われている夕方6時のミサで、Nadiaの名前が読まれることになっているという話だった。

29日(日)にSylviaと会った日の夜、LuisにSylviaとリトルイタリーで撮った写真を送りつけて、「今度はいいお食事を驕ってもらうからね!」というと、Luisはサンディエゴで合流できなかったことをわびて、今度みんなで集まるときは絶対自分が驕るからと言っていた(笑)

と同時に、翌日月曜日がNadiaの名前が読まれる最後のミサになるから、自分は参席する予定だと言っていた。明日で最後かと思うと、自分ももう一度Nadiaの家族と会いたいし、Nadiaのそばにいたいと思い、Luisと一緒に参席することにした。


LuisはNadiaの家のわりと近所に住んでいて、おそらく大学時代からの友だち。二人はティファナにある名門国立大UABCの出身で、同じくSDSUへの交換留学生でもあった。

SDSUに国境を越えて通っていたときも、朝5時おきでLuisの運転で二人は3時間かけて国境を越えて通っていた。二人でつるんでいることが多かったので、今になっても二人は付き合ってたのでは?という声があるものの、実際は二人は兄妹(年齢的にはそうだけど、実際の関係は姉弟)のようだった。Nadiaの家族もLuisのことはよく知っている。

職場から車を西に飛ばして、サンイシドロの国境の有料駐車場に車を停めて、歩いて国境を渡った。待ち合わせのカフェチェーン店D'Voladaを探す。幸いあらかじめグーグルマップである程度の位置を確認していたので、実際は目立たない店だったけど無事見つけることができて、Luisも中から手を振って出てきた。

Luisは時間にきっちりしている。「入れ違いになったりしたくなかったから、早めに来ておいたよ」


ちょっとヘン顔のLuis


メキシコの挨拶は頬に1度キスをする。この日もLuisは頬にキスをしてからハグしてくれた。

「あ~、ごめん。また忘れちゃった!アジアではこれやらないんだよね。ついクセで・・。この前のお通夜のときもだんなさんの前でやっちゃって、しまった!って思ったときには遅かったんだよ~」

「問題ないよ~、ここはメキシコなんだからメキシコのやり方で。わたしのほうこそ、つい忘れちゃうんだよ。夫のほうもメキシコに15年勤めているからそのへんの事情は分かってるから心配無用だよ。」

ミサの前にちょっと話をしようということになっていたので、車で移動することに。ルイスは去年購入したばかりという日産の白くてきれいな車に乗っていた。ルイスは本当にビジネスで

で、また微妙な質問「ごはん食べた?」これ、4時半に聞かれたら昼ごはんのことを言ってるんだか晩ごはんのことを言っているんだか、未だにかなり混乱する。

「僕は朝ごはんを遅く食べたんだけどね。」わたしとしては夕飯にしては少し早かったけど、とにかく何か食べながら話をしようということらしいので、同意してついていく。

LuisはUABCとSDSUの両方の大学でファイナンスを専攻。卒業後、アメリカ側のメリルリンチで就労ビザをサポートしてもらって働くという誰もがうらやむチャンスを蹴る。(Nadiaはこのことでかなり説得したみたいだけど、ダメだったから、すごく憤りを感じていた笑)

その後、バックグラウンドチェックを済ませ、メキシコの大手銀行BanamexやSantanderなどで働いていた。ちょっとしっかりしてない一面がある(Nadia談)けど、話上手で人当たりがよくて、常に笑顔、そしてもちろん、頭のよさも相まって、かなりいいポジションまで行っていたけれど、ある日銀行の仕事は辞めてしまう。

その後アイスクリーム屋さんなどをやっていて大丈夫だろうかと内心ちょっと心配していたけれど、
今回の話では不動産賃貸業をビジネスパートナーと2人でやっていて、どうやらすごく儲かっているらしいというのが分かった。友人がうまくやっているのを知るのはうれしいこと。

開放感あるレストラン。


そんなLuisが連れて行ってくれたのは新しいレストランだけが集まるモールにある開放的でモダンなレストラン。メニューはメキシコ料理だけど、タコスが1個4ドル以上するような、ファンシーなレストランだった。

こんな高級タコス食べるのは初めてだよ!などと言いながら注文して、ミサが始まるまでのぎりぎりの時間まで話をする。

Luisは昔から武士とか仏教とかに興味があって、学生時代のメールアドレスは"bayushi"という架空の日本語の名前だった・・・。そんな彼は最近ネイティブアメリカンの考え方についての本を読んだところだったらしくて、死について考えていたところだったと話していた。

死はいつも自分の隣にある。そしていつ、その死が肩をたたいてくるか分からない。だから日々の生活において何かの判断をするときにも、その隣に潜む存在を意識しておかないといけない、というような内容だったそう。

わたしもネイティブアメリカンの考え方はアジア思想に共通する部分も多いよね、と応じる。自然を敬う、とか。Luisも共感して、そのことも書いてあった、自分が自然をコントロールするのではなくて、自分も自然の一部なんだという考えだよね、と言っていた。

(こんな深い話ができる男性だけど、37歳独身。Nadiaの紹介で何度かブラインドデートをしたものの、自分が気に入る女性と出会えていないのだという。。。)

それに重ねて、偶然にも家族の知り合いの死が重なっていたこともあって、死について日頃から考えていて、ある意味「心の準備」が出来ていた状態だったから、自分が想像したよりも衝撃は少なめに受け取ることができたと話していた。

エビとチーズのタコス。おいしいけど、ファンシー。
このレストラン、トルティーヤチップスさえ出てこない。

とはいえ「Nadiaみたいに気軽に電話して「今から会おうよ」って言って気軽に会える友だちは他にいたりするの?」と答えを知っていつつも聞いてみると、「それはNadiaほどの人はいないよね、Nadiaはどんなことを話してもオッケーな相手だったし、すべてを受け入れてくれていたからね。」

「自分はいくら落ち込んでいても、「誰か頼むから俺を慰めてくれ~!」なんて泣き言をいうタイプじゃないけど、Nadiaはそれを察して必要な言葉をかけてくれる存在だった。そういう人は他にいないよ。だからこれから本当に寂しくなると思う。」

当たり前だけど、LuisもNadiaの死には相当の喪失感があることは間違いない。

Luisもわたしと同じ人物から、Nadiaの訃報を知らされたらしい。「その後いろんな人が連絡くれて聞いた話では、やっぱり医者の過失という気がしているよ。うちの家族は病院に行って問い詰めれば本当のことが分かると言ってるけど、自分はそんなことをするタイプでもないから・・・」

わたしはてっきりLuisはNadiaの家族から訃報を受けていたのだと思っていただけに、これもまた少しショックだった。とはいえ、Nadiaの家族としても、信じられない出来事を、周囲に知らせて回ることはNadiaの死を認めることになるから、なかなか出来なかったのではないかと思った。

と同時に、やっぱりNadiaこそが家族と外の連絡係だったために、訃報を伝えようとしてもみんなの連絡先が分からなかったという事実もあると思う。

Luisは自分が人前に出て仕切っていくタイプの人ではない。だけど今回の件では、たまたまNadiaと最も親しかった人だっただけに、あちこちから連絡がきて表に出ざるをえなくて正直参ったと言っていた。

「お通夜のときも参ったよ。みんなのテンションがひとそれぞれ違うんだからね。」大学時代の友人で長いことNadiaに会っていなかった友人は、今回のことを割りとすんなり受け止めていて、会場でも他の友人との再会の場となっている様子で話が弾んでいる様子だった。

Luisはそのグループと一緒に会話をしていると、その傍ではママが涙を流していたりするんだからたまらないと言った。わたしもショックを受けているほうのグループの人間だった。。。

わたしもLuisだったら知っているだろうと思い、家族に直接聞けないような疑問をあれこれ質問したけれど、「そのことは家族の気持ちを思うとまだ聞けていなくて知らないんだ」というような答えが返ってくることもあった。Nadiaがどこの墓地に眠っているのかを、わたしたちはまだ知らない。そのうち知る日が来るだろうから、今急いで知る必要もないよね、と話した。


それからNadiaの、ママやAfraとの関係について聞いてみた。Sylviaは以前、NadiaがママやAfraのことでストレスを溜めていると聞いたことがあるといって気になっていたと前日のランチのときに聞いていた。

わたしの考えではNadiaはママやAfraと仲たがいすることもあったと思うけど、それは一時的なことで大きな問題ではないと思っていたけれど、Sylviaはそのことを少し気にしていたからわたしも確かめたいと思った。

Luisの話では「家族との関係についてハッピーと感じる人もいれば、あまりハッピーでないと感じる人もいる。感じ方の問題。」といって、NadiaはママやAfraに憤りを感じることがあったかもしれないが、大した問題ではなかったというようなことを言った。

「やっぱりママにとってはAfraが特別だったのかな」「それはそうだね。ママはAfraを可愛がっていて、二人の関係はNadiaよりは近かった。でもどの親にもお気に入りの子どもがいるのは残酷だけど事実。もちろん親はそんなことはない、皆同じくらい愛してるって言う場合がほとんどだけど、そうじゃない。うちも兄と妹がいるけど、兄はもっと色が白いし、妹は目が青くて元モデルだったんだ。親は皆を同じくらい愛してるっていうけど、違うってことは僕の目には明らかだよ。」「そうね、親も人間だもんね。。」

「でもだからってそれに対して憤ることはない。現実は現実として流せばいいんだ。自分は自分のよさは自分で分かってる。自分は他の兄妹よりも頭がいいし、賢い。これも事実。」そのとおり。

長女、初孫として特別な存在として育ってきている実感のあるわたしとしては、二人の立場は正直理解できていないだろうと思う。

NadiaもLuisも真ん中の子だという、もう一つの二人の共通点。

わたしがNadiaのことが好きだった理由、そしてこれだけ長い期間友情を続けられた大きな理由の一つに、Nadiaは人をうらやんだり妬んだりする人間ではないということ。これは自信をもって言える。

Nadiaが友だちを紹介してくれるたびに、日本人という理由で少しだけ尊敬の対象となるし(メキシコでは日本人の印象は概ねいい)、ただでさえ見た目も違うんだから目立つし、(肌の色が大いにモノを言う)メキシコで、比較的色白だったわたしは本当に必要以上にちやほやしてもらった記憶がある。

でもNadiaはそんなことは全く気にしないどころか、むしろわたしの友だちだって自慢に思ってくれていたとさえ感じる。それはNadiaはわたしにはない良さを自分がたくさん持ちあわせていることを理解していたからだろうし、うらやんだり妬んだりする発想すらなかったんだと思う。要するにSylviaとも話したように、付き合いやすくて、クールな人だった。


そんなことを話しながら食事を終えて、ミサの時間に間に合うように車に乗り込んで教会へ向かった。


Nadiaのこと⑥に続きます。
















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